描かれたもの

曖昧な記憶をたぐりよせてみる。
図書館の美術コーナーで借りた本で見た絵画。
果実と、瓶詰めにされた果実が描かれていた。モネか、マネか、セザンヌか、それとも他の誰かだったのか。
どのような文が与えられていたのか、その記憶もない。
ただ、同じ果実が、瓶の外側か、内側かで、片や腐敗へ、片や醗酵へとその姿を変えていくだろうことが察せられて、何か怖ろしいものでも描かれているようで目が離せなかった。
その絵画においては共に新鮮な果実。果汁を皮のなかにみなぎらせて美味しそうにそこにあった。
ひとめ見たときには、外に置かれた果実がいきいきとして、瓶のなかの果実はアルコールに浸され、閉じ込められて、息苦しいのではないか。そんなふうに感じられた。
なおも見ていると、外に置かれた果実は、芳しい香りを発したのを頂点に、その時点で食べられなければすぐさま腐敗へと進行するだろうことが察せられる。この絵が描き終えるまでにこの果実はこのままの姿ではなかったかもしれない。
それならば、瓶に詰められた果実のほうが俄かに精彩を放ってくる。こちらの果実は腐敗を免れ、やがて美味なる果実酒となるだろう。
なんの変哲もない静物画に描きこまれていたのは2つの時間だった。それらの果実は、違う時間を生きることになる。時間が分かれようとするその瞬間を画家は描きとめたことになる。
画家の仕事。片時もじっとしていない時間を画布にとじこめようと躍起になる。
見えないものを掴まえることのできた人々。わたしたちは息を呑む。閉じ込められた時間がまたうごきはじめるから。