天晴 扇 和邇 四隅

入場行進、ラジオ体操。
思春期の子供たちがラジオ体操をするのを見ていると笑いたくなる。
何でこんなかったるいことしなきゃなんねえんだよ。
心の声がそのまま形に現れてしまっている。小柄な子のほうが概して動きもきびきびとし、一生懸命なようだ。
もう少しで終わりだ。ほら、はい、これで、終わりと。ラジオ体操は。ほっとしたのか「位置に戻れ」の「に」のところで、身の入ったポーズをつけた。
さて、出番までは間があるし一旦帰って用事を済ませますか?でも確かあのこも何か係があったはず。それを見てからにしますか。
女子の種目、順位係は確か腕とか握って連れていくのでは。そこにはいないみたい。いた。持ち物もなく、しゃがんでいる。競技は始まっている。仲間は全4人、次の地点に移動した。
何があの子たちの役割なのだろう。
そうだきっと、万が一要員では?誰かが怪我をしたら彼らが駆け寄って助けるのかも。そんなことは起こらず競技は終了。
他の係は退場したのに彼はまだ競技を終えた女子たちの傍らにしゃがんでいる。「選手退場!」アナウンスとともに四角い列の女子たちが駆け出した。4隅には先ほどの彼らが。ああ!これが彼らの役割だったのね。四角の角を留める点。なんだかこの役が気にいったのだった。
一夜明けてみると、何だか面白いものを見た気がして。「運動による仕掛けの祭典」そのように見ることも可能なのだ。全ての構成要素が筋書き通りに動く仕掛け。進行、係、選手、全てが、筋書き通りに動かなければ、たちまち混乱に陥らないとも限らない。
進行がストップした瞬間を見た。ある競技が終わり、次の準備段階にあった。壇上の一人が赤い旗を掲げている。地上の数人は白い旗を掲げている。白旗が全て上がったら赤旗は白旗に変わり、進行するはずだ。その瞬間はどのくらい続いたのだろう。彼らの腕はだいぶ疲れているのでは、という状態がしばらく、と、壇上の彼は赤旗を下げ、白旗を上げた。瞬間、音楽が鳴り渡り、競技は動き始めた。
可愛い子供たち。学年種目は「いなばの白兎」というのか?長い耳をつけた子(うさぎ)が、ワニの背を渡るのだ。小さく蹲った背の上は歩きづらいのだろう。ひょこひょこと歩く姿はまるで人間とは違ういきもののよう。ワニは次々に前に移動し、道をつくる。子供たちは無心のままにワニとなり、うさぎとなっているのだが、何かに似ていない?そうだ、「鳥獣戯画」に似ている。
さて、夕食の献立のひとつチヂミを盛り付けようとしてひらめいた。フライパンで焼いた丸いチヂミを十字に切り、放射状にそれぞれ3等分、ケーキのピースのように切る。中央の4つの直角を四角いボードの4つ角に合わせて置く。
名付けて「チヂミの扇 四隅留め」。息子の係に想を得たものだ。「扇」は組体操の「扇」からとったのだ。
「ハイ?」「何かおっしゃいましたでしょうか?」というので、さらに2回口上申し上げましたが、洒落は通じなかった模様。
彼は夢見ていたのだ。リレーのアンカー、テープに飛び込む瞬間を。夢と現実の隔たりは、彼に哀しみをもたらした。怒っていいのか、嗤っていいのか、わからないのだ。3位。