弁明

昨今話題のpomodoroで、と思っていたのですが、曇天のため気が変わりました。
下手な歌、句、などを何故人目につくところに置いておくのか、ということについて、問われもせぬのに弁明をこころみるという魂胆なのですが。
歌にもさまざまありますし、現代歌人という方もいることは知っています。が、そういったあたりには全く興味はなく、何故こんなことになったのか、と自らに問うてみれば・・
基本的に昔が好きなのは、見えないからだと思うのですが。見えないものに憧れる、という面では、昔と言うのはまことに好都合なものではないのでしょうか。
何処かで触れたかもしれませんが、戦国時代や江戸時代には殆ど興味を惹かれないのですが、そのような時代にも細い糸のようにそのまた昔が織り込まれてきたからこそ、今でも昔を微かながらでも偲ぶことができるのでしょう。
まずはじめに心惹かれたのは万葉集の時代でした。額田王の力強いことば。運命を動かすほどの。きっとその時代には幾種類もの言語が飛び交っていたことでしょう。大陸や半島が動乱に満ちていたとき、行き着く果ては、東の果ての島国、清らかな水の流れる、温暖な、小さな国。ここで生きていくと決めた人、祖国が忘れられない人もいたことでしょう。
百人一首は子供のころからのお正月の遊びでしたが、そこに心を見いだしたのはここにはいない時、白洲正子の本を読むようになってからでした。華やか過ぎて、と敬遠していた「源氏物語」の時代、こみ入っているように思われた「新古今」や「平家物語」の時代の人々の心の叫び、心の吐露。それらの時代が終わったとき、心を「能」に閉じ込めた世阿弥
そのなかで決定的に私の心を捉えた人は式子内親王でした。ことばがこころを伝える、幾年月も・・
もはやほんの微かな風のそよぎ、ふきわたる空気、空のいろ、月の面影、それらはただごとではなくなりました。
憧れる、そのことが真似事をさせるのですが・・
紙に書く?そのほうが恥ずかしいでしょうね、おそらく。どこか目につかぬところに書き溜める?それも同様でしょう。
というわけでこんなところに置いておく、というわけなのです。理想としては、横にちょっとした小函があり、そこにぽんぽんと放りこむ、そんな感じだといいのですが。
解説を加えるとすれば
・たどたどしい日本語で(他に使いこなせる言語もないのに)
・苦しげな詠いぶりで
・赤子のような飾らぬこころで
といったところ(言い訳)でしょうか。あしからず。そもそもここが小函なのですからね。