あじわい

うさこちゃん」の本を、改めて手にとってみる。何故買い与えなかったのかを思い出した。
あじわいの減少・・私が幼い頃に見ていた「うさこちゃん」とは何かが違う。
背表紙の布の感触。青い色はもっと深かったのではなかったか・・
ほんの僅かな失望が買うという行為を拒ませたのだった。
「かわいい」だけではすまされない何かがあったような気がするのだけれど。それは私の思い込みだろうか、記憶の醸造にすぎないのだろうか。
文字を辿ると、読んであげた記憶ははっきりしている。自然に抑揚がつく、石井桃子さんのことば。繰り返し読んだ。
しかしそれを所有しなければ、それらの形や言葉は子供自身の血となり、肉となることはないのかもしれない。
印刷は音にきく精興社。40年もたてば、紙の質感やインクの調合から、印刷の技術は大きく変化したはずだが、その過程で何かが置き換えられたのかもしれない。あまりにもクリーンな印象、軽い印象に違和感はぬぐいきれない。
それでも子供という可能性はそれをうけとる器であるに違いない。
親の妙な思い込みでそれを奪うのは傲慢・・と今更ながら悔いている。
わたしたちが確かに手にしていたのどかな、あたたかい、あの感じに、飢えているのかもしれない。
ずいぶん歳をとったのか・・