『免疫の意味論』 多田富雄

本との出会い。ある本がある本へ誘う。そのパターンが多いが、ともすると同じような文脈のなかで軌道をぐるぐると廻るようなことにもなりがちである。
こちらを是非読みたいと思ったのはtriportさんのブログ記事「中心と境界」を読んだからだった。
多田氏ははしがき、あとがきでこう述べる。

免疫は、病原性の微生物のみならず、あらゆる「自己でないもの」から「自己」を区別し、固体のアイデンティティを決定する。
この本では、いままで立ち入って論じられることが少なかった免疫現象の意味について、少々自分のディスカッションを試みた。生命論というほど大げさなものではないが、固体の生命というもっと高次のシステムの持っている手口の一部をのぞいて見たように思う。
免疫学があまりに急速に進展しているために、それを研究している同業者だけでホットな議論が続いていて・・・同業者だけに通ずる壮大な物語を、なんとかふつうの言葉に翻訳することはできないだろうか。
自分の中でもタブーにしていた「免疫」という生命現象の「意味」について整理しておくことは意義があるのではないかと考えた。
次々に起こった大きな発見のおかげで、教科書すらも2〜3年で時代遅れになってしまう中で、免疫学の問題点を、新しい知見に照らし合わせながら日本語で解説するなどというのは、思うだけでものぐさい。

その「ものぐさい」仕事を、なんと見事に平明な日本語に置き換えてくれた書物だろう!感激に堪えない。
第1章 脳の「自己」と進退の「自己」
第2章 免疫の「自己」中心性
第3章 免疫の認識論
第4章 体制としての免疫
第5章 超システムとしての免疫
第6章 スーパー人間の崩壊
第7章 エイズと文化
第8章 アレルギーの時代
第9章 内なる外
第10章 免疫系の反乱
第11章 免疫からの逃亡
第12章 解体された「自己」
全ての章がまことにエキサイティング、スリリング(表現おかしいかな)で、顔にびっくりマークを貼り付けたまま読み進むことになる。
「自己」「非自己」について語る本書は、それを読む自己に向かって語りかけてくるからである。ようやく読み終える時が近付いてくると、自己とはそれほど曖昧なものなのか、自己とは今まさに変容しながら進む自己にほかならないのか、と空おそろしくなるほど。
ここしばらく読んできた本、自分が生きている今という瞬間、そのようなものとの不思議な符号が感じられたが、誰が、いつ読んでもそれぞれの感慨に至るのではないか。
多田氏が「生命論というほど大げさなものではない」という本書は、まさにそのように読めるからである。

免疫の意味論

免疫の意味論