気狂いピエロ
久しぶりにDVDで観賞。これ1本撮れたら十分ではないでしょうか。愛し尽くしたという意味で。
- 出版社/メーカー: アミューズ・ビデオ
- 発売日: 1999/05/27
- メディア: DVD
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監督と女優は、夫と妻は、男と女は、そしてただの愛は
この、監督であり夫であり男でしかないジャン・リュック・ゴダールはただただ可愛い女アンナ・カリーナを凝視し尽くしたいと望む。
マリアンヌのパリのアパルトマンの窓から溢れくる光。フランスの大地に足を踏み入れたら感じられる光の曖昧なこと、それはたぶん大きすぎる大地が太陽の光を吸収し、照り返す海の不在からくる光の迷える姿。だからフランスの空はどこまでも広く、大きく、果てしがなく、照り返しあう海の不在のためにその青はあくまでも淡い。光は行き場を失い、ただそこにあてどもなく満ちるばかり、曖昧に。
だから2人は南へ向かう。南仏へ、あわよくばイタリアへ・・そうすれば光はお互いの存在を確かに照らしだすだろうとは気付かぬままに。
赤は、狂気の色。赤は、ウツシテハイケナイ色。消えてしまうものだから。夕陽、ポピーの花弁、赤い薔薇、消えなければならない色。ほんとうの赤は美しすぎるから。
ゴダールの、赤に対する過剰な妄執、画面の何処かに必ず望む憧れの色はやがて・・
男はカメラのレンズを通して凝視し、フィルムという網膜に焼き付けてしまいたいとねがう。
女は男の眼球のなかに入り込めるならとねがう。
この、ただの愛の緊張感は、映画のなかに昇華されてしまっているようで・・
空の青も海の青もどこか曖昧で(シオカラトンボの青にも似て日本ではあまりお目にかかれない素敵な色)、赤を引き立てるばかり。ほんとうの赤をフィルムに、焼き付けてしまったかのような
「ヨカッタネ」
とゴダールに言ったとしても、困ったようなジャン・ポール・ベルモンドの演技のように困るだけかもしれない
やっぱり名作じゃない?