うたをうたう

秋といえば学校祭や合唱コンクールなどの学校行事も多く、娘と息子は3歳ちがいなので合唱コンクールは5回連続で見ていることになります。子供も大きくなるにしたがって親のほうも我が子、我が子というよりは一歩引いた目線で見るようにもなるようです。
最近気になるのは指揮者の子、学年にひとりくらい、同年齢の子の「うた」を引き出してしまう少女(あるいは少年)とその合唱について。
先日は中2の息子の合唱コンクールでしたが、朝の練習なんて面倒だ、という絵に描いたような中2なので我が子に期待するわけにもいかないのは良いとして。「大きな声で歌いなさい」
昨年のまだあどけなさの残る中1の声とは違って、男子の声が低音になっているのでまさに混声合唱。体もぐんと大きくなって、見覚えのある、あの子、この子がまあ、髪型なんかきめちゃって..
合唱がものになるかどうかは男子の声が出ているかどうかにかかっているようですが。いました、今年もひとりの少女が。リズムをとりながら目線を配り、掌を上げる、その眼差し、動作に引き込まれるようにひとりひとりの声が、「うた」が腹の底から溢れ出るように。歌うその目はうっとりと。「小さな愛」「出遭えたこと」と歌う言葉には心が入って。
そのような合唱は、他のクラスの頑張って練習した歌声とは違う迫力をもち、胸に迫ってきます。ごく普通の子供たちの「うた」が引き出される不思議な時間そのものは消えてしまうものですが、(この人のために歌いたい)という欲求と、それを一身に受けながら引き出す14歳ほどの人に、純粋に感嘆してしまいます。
歌い終わった子供達のほっとして漏らす照れたような笑顔。結果が出るまでじゃれあってふざける微妙な年齢の人々。ふざけながら親の姿をみとめても、昔のように手をふったりはしない。
賞を貰えなかったのは良いとして、息子の得たものは。「伴奏の人がさ、私のせいで、なんて言うと、う〜ん、て思うよね。凄い責任感、だよね」と切なさを感じてまだ13歳。