萬葉集

 明日香川原宮御宇天皇代 天豊財重日足姫天皇
  額田王歌 未詳
金野乃 美草刈葺 屋ど礼里之 兎道乃宮子能 借五百磯所念
あきののの みくさかりふき やどれりし うぢのみやこの かりいほしおもほゆ
(巻第一 雑歌 七)
右検山上憶良大夫類聚歌林曰 一書戊申年幸比良宮大御歌 但紀曰 五年春正月己卯朔辛巳天皇至自紀温湯三月戊寅朔天皇幸吉野宮而○宴焉 庚辰日天皇幸近江之平浦

天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)は皇極天皇のち斉明天皇

 後岡本宮御宇天皇代 天豊財重日足姫天皇 譲位後即後岡本宮
  額田王歌 
熟田津に 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜
にきたつに ふなのりせむと つきまてば しほもかなひぬ いまはこぎいでな
(巻第一 雑歌 八)
右検山上憶良大夫類聚歌林曰 飛鳥岡本宮御宇天皇元年己丑九年丁酉十二月己巳朔壬午 天皇大后幸干伊豫湯宮 後岡本宮馭宇天皇七年辛去酉春正月丁酉朔壬寅 御船西征 始就干海路 庚戌御船泊干伊豫熟田津石湯行宮 天皇御覧昔日猶存之物 当時忽起感愛之情 所以因製歌詠為之哀傷也 即此歌者天皇御製焉 但額田王歌者別有四首

661年、百済救援の軍の征西、四国は伊予松山の港を出港する際に額田王が歌ったものとされる。出航するのになぜ夜間が選ばれたのか、ということが問題とされるらしいが、「月待てば」の文字を見て夜を連想はするが必ずしも夜をうたったとは限らないのでは。月は暦であり干潮と船出の時を読むものとしての月待ちであれば。
この詞書で最も心惹かれるのは「天皇御覧昔日猶存之物 当時忽起感愛之情」の部分だと思うが、記録がないため不詳とされているようだ。しかしここにあるリアルな感情の迸りはどうだろう。昔のものがそのままに在るのを見て忽ち昔が思い出される。「猶存之物」は失われた何かを思いださせたのだろう。
斉明天皇は半年後、筑紫の朝倉宮で崩御される。