『夕顔』

月に一度の国立能楽堂
開演前に展示室<能楽入門展>の能面・装束の展示に立ち寄る。色とりどりの、贅を凝らした装束の草木からとられた絹糸の光沢、配色の妙、刺繍の繊細、意匠の様々は眼福の時。写真撮影は禁止だが装束の銘の色や形の文字の羅列もまた愉しい。

紺地紋散模様縫箔(亀/蝶/沢瀉/桐/牡丹/木瓜文/巴入り亀甲文)
白地鱗模様擦箔
紅地火焔太鼓菊蜻蛉模様唐織
紫地菊折枝桜草模様長絹
紅地麻葉花車模様縫箔
紺地破亀甲繋鶴亀模様直垂
紅白段桐巴格子石畳模様厚板
萌黄地松皮菱丁子唐花模様半切
紫地檜垣龍丸巴模様長絹
白大口

毎回ほぼ満員の能楽堂の鏡板の常緑の松、檜皮葺、白洲に囲まれた能舞台はそれだけで心身に心地好い。
狂言大蔵流『膏薬煉』。茂山あきら・宗彦両氏の掛け合いは時と共に興に乗る。終盤、膏薬の薬種の種を明かしあう。...「龍の睫毛、」の声に眠気も吹っ飛ぶ。カエルの臍、それから…カタログには雪の黒焼き、赤児の頬髭、天狗の陰干し、とあるが、アドリブもあったかもしれない。
幕間の後の能は観世流『夕顔』。

加茂のお社伏し拝み 糺の森もうち過ぎて 
帰る宿りは在原の 月やあらぬと託(かこ)ちける
山の端の 心も知らで行く月は
上の空にて影や絶えなん
紫式部が筆の跡に ただ何某の院と書きて
その名をさだかに顕さず 
しかれどもここは古りにし融の大臣 住み給ひにし所なるを
その世を隔てて光君 また夕顔の露の世に
上なき思ひを見給ひし 名も恐ろしき鬼の形
それもさながら苔むせる 河原の院とぞご覧ぜよ
小家がちなる軒の端に 咲きかかりたる花の名も
えならず見えし夕顔の 折すごさじと徒人の
心の色は白露の 情け置きける言の葉の
末をあはれと尋ね見し 閨の扇の色異に互ひに秋の契りとは
なさざりし東雲の 道の迷ひの言の葉も
この世はかくばかり 儚かりける蜉蝣(ひおむし)の
命懸けたる程もなく 秋の日やすく暮れ果てて
宵の間過ぐる古里の 松の響きも恐ろしく
風に瞬く燈火の 消ゆると思ふ心地して
あたりを見れば烏羽玉の 闇の現の人もなくいかにせんとか思ひ川
うたかた人は息絶えて 帰らぬ 水の泡とのみ
散り果てし夕顔の 花は二度(ふたたび)咲かめやと
夢に来たりて申すとて ありつる女も
かき消すように失せにけり かき消すように失せにけり
池は水草に埋もれて 古りたる松の蔭暗く
また鳴き騒ぐ鳥の嗄声に 身に沁み渡る折からを
心の水は濁江(にごりえ)に 引かれてかかる身となれども
来ん世も深き契り絶えすな 契り絶えすな
夕顔の笑(えみ)の眉 英(はなぶさ)も 
変成男子(へんじょうなんし)の願ひのままに 
袖ながら今宵は 嶺の松風通ひ来て
明け渡る横雲の 迷ひもなしや 東雲の道より
暁闇(あけぐれ)の空かけて 雲の紛れに失せにけり

仄白く光る衣の袖の舞を舞う夕顔の咲く花の色、
夢/現のまにまに幕の内へと 失せにけり。