氷室の山の 薄氷を  砕くな砕くな 解かすな解かすな

梅雨の晴れ間の夏空、酷暑まであとどれくらいだろう。
月に一度の能楽堂の中庭は季節をそのまま見せてくれる。苔は瑞々しくもみぢは青青として、背の高い合歓木はふさふさと葉を揺らし朱赤の軽やかな花も揺れている。秋の萩の丸い葉も健やか。
狂言は『金藤左衛門』、山賊の金藤左衛門が逆に身ぐるみそっくり剥がされるが、また良いこともあろうと笑い飛ばす。夏を前に、失敗を気にせず笑い飛ばしてがんばろうよ、という趣向だろうか。

能は宝生流『氷室』。

花の名の 白花椿 八千代経て 白花椿
八千代経て 緑にかへる空なれや
青葉の木 蔭わけすぎて 氷室山にも着きにけり
氷室山にも着きにけり
変はらぬや 氷室の山の深緑
氷室の山の深緑
深冬(みふゆ)の雪を集め置き
氷室の御調守るなり
氷室の御調守るなり
貫之が
袖ひちて むすびし水の凍れるを
春立つ今日の風や解くらんと詠みたれば、夜の間に来たる春にだに氷は消ゆる習ひなり。ましてや春過ぎ夏たけて、はや水無月になるまでも、消えぬ雪の薄氷、供御の力にあらではいかでか残る雪ならんいかでか残る雪ならん
雨露霜雪(うろそうせつ)の時を得たり
人こそ知らねこの山の 山神木神の
氷室を守護し奉り 毎夜に神事あるなりと
寒風松声に声たて 時ならぬ雪は降りおち
山河草木おしなめて 水を敷きて瑠璃壇に
なると思へば氷室守の 薄氷を踏むと見えて
氷室の内に入りにけり
氷室の内に入りにけり
楽にひかれて古鳥蘇(ことりそ)の
舞の袖こそゆるくなれ
供へよや供へよや
さもいさぎよき水底の砂(いさご)
長じてはまた巌の陰より
山河も震動し 天地に響きて
寒風しきりに 肝をしづめて紅蓮(ぐれん)大紅蓮の
氷を戴く氷室の神体冴えかかやきてぞ現れたる
谷風水辺冴え凍りて 谷風水辺冴え凍りて
月も輝く水の面(おもて) 万境を映す 鏡の如く
晴嵐梢を吹き払って 影も木深き谷の戸に
雪はしぶき 霰は横ぎりて 岩もる水もさざれ石の
深井の氷に閉ぢつけらるるを 引き放し引き放し
浮かみ出でたる氷室の神風 あらさむや冷やかや
波を治むるも水 水をしづむるも 氷の日にそへ
月に行き年を待ちたる氷の物の供へ
供へ供へと采女の舞の 雪を廻らす小忌衣の
袂に添へて薄氷を 砕くな砕くな 解かすな解かすなと
氷室の神は 氷を守護し 花の都へ雪をわけ
すはや都も見えたり見えたり
急げや急げ氷の物を
御調物こそめでたけれ
(抄)

夏の深山の氷室からつめたい風吹く心地して。
後シテ氷室明神の面〈髭べし見〉に白頭(しろがしら)で拍子踏む舞の迫力が心地よい。
氷室の神の神威は夏を迎える力をくれるようだった。