ふたりのゆり

野中ユリの作品集が欲しいが高価で手が出ない。そこで手に入れた一冊は野中ユリの銅版画が挟み込まれた『ことばの食卓』武田百合子

鉛がかった青いクロスに置かれた静物のノスタルジイ。遠い日の夏の入道雲の匂い。そして武田百合子の硝子玉のような視線が描く文体は硬度とやわらかさを併せもつ。両の眼が結ぶ焦点に時に焦げ付く匂い。
何だろう?みなしごの文体。

あら、鳥がきた。なにどりかしら。花の芯食べてますよ、食べてますよ。あんなに揺らしてるのに、花びらが一枚も散ってこない。もうもう今が真盛りの真盛りだ。 おいしそうに食べてること。花の芯て、どういった味がするのかねえ。「花の下」

ひと気のないお社の桜の下で、たまたま居合わせたらしい童女のような老女のひとり語りを再生する耳の貝殻。

兵隊さんは、何だか、とてもゆっくりロボットを畳に置いて、カーキ色の服をそろそろと窓からひっこめた。「これ、手足が動いたらもっといいね。糸使うと出来るよ」と言い、気まりわるそうな泣きそうな顔で、一寸笑ってみせると、急いでいなくなった。九月一日、ロボットを風呂敷に包んで登校。
主にコーヒーキャラメルとチョコレートの銀紙で作った。木綿糸を使って手や足が動く仕掛けにしたのだ。夏のことなど忘れかけた頃、先生によばれて桐の小箱を貰った。薄紙にくるまった、バラの花籠の形の銅製メタルが入っていた。一等賞ではなく、佳作ぐらいだったと思う。「キャラメル」

キャラメルの空函にすっぽり納まって仕舞うような小品。本物の兵隊さんと海べで夏を過ごす女の子の、互いにマレビトとして出逢うひと時。「あたしゃね、軍隊ってものがキライ。」おばあさんの声が台所から聞こえ、若い兵隊さんはくるしげに笑い去って行く。

おべんと御飯(煎り卵ともみ海苔の混ぜ御飯)か、猫御飯(おかかと海苔を御飯の間に敷いたもの)であれば、私は嬉しい。そこに鱈子、またはコロッケがついていたりすれば、ああ嬉しい、と私は思う。そのほかでは…梅干のまわりの薄牡丹色に染まった御飯粒と、沢庵のまわりで黄色く染まった御飯粒。その一粒一粒。

無垢と呼びたければ呼んでもいいが、みなしごの無垢には超越がある。

家の近い生徒は、都合でお昼を食べに帰ってもよいことになっていた。「食べ」といった。校門から「食べ」の生徒が、ばらばらと抜きつ抜かれつして、切り通しの坂を走り下って行く。 柱時計の真白な文字盤のXⅠⅠに針が重なって、丁度鳴りはじめたところ。
天皇陛下の写真が出てるシンブンガミで、お弁当を包まないでね。見つかると先生にうんと叱られるから。遠足や運動会に持ってきて地面に敷いて坐るのも、いけないんだって。お便所でお尻拭いたりしちゃ、もっといけないんだって。愛馬白雪号(天皇陛下の馬)のもダメかもしれない」
Kさんちは大門の中のお女郎屋さんだ。と事情通の友達が教えてくれた。「食べ」の日、その話をすると「ああ、よっぽど大人しい人なんだねえ、きっと。お女郎さんは、ふつう滅多に一人で外へは出られないもんだよ。逃げられないように、帯も締めさせないんだ」と、火鉢の向うで、おばあさんは言った。「お弁当」

無垢が見届ける結界の入り口とおばあさんの台詞の凄み。

黒犬が、ぽつんと離れて大人しくしてこまででいい、と言って、川のふちに沿って、山本さんは帰って行った。「続牛乳」

文の繋がりがおかしい。頁をたしかめると26,29,28,29となっていて、27頁に刷られるべき頁に29頁が刷り込まれている。消えた頁と増えた頁。頁ごと誤植の意外な驚きが何故か相応しくも愉しく思えて。

武田百合子を知らなかったのは迂闊だったと富士日記と日日雑記も慌てて注文。