我が家の1冊 「たのしい川べ」

子供が小さかった頃、図書館からたくさん借りてくる。それを読んであげる。お気に入りが見つかる。購入する。繰り返し読む。本棚にお気に入りが並ぶ。また取り出して読む。そんな感じで娘の本棚もいっぱい、息子の本棚もいっぱい。

そのなかから、我が家の1冊をえらぶとすれば、ケネス・グレーアムの「たのしい川べ」である。原題は「THE WIND IN THE WILLOWS」。イギリスで、このお話を知らない人はいない。

たのしい川べ―ヒキガエルの冒険

たのしい川べ―ヒキガエルの冒険

数ある石井桃子さん翻訳の児童書としては、「くまのプーさん」や「ピーター・ラビット」シリーズ、「うさこちゃん」シリーズの影にかくれて、日本ではそれほど知名度は高くないかもしれない。
最初、図書館で出会った時、私はこの本を借りなかった。ぱらぱらとページをめくり、ねずみやモグラの挿絵、何となくとらえどころのない感じがして棚に戻した。その後瀬田貞二氏の「幼い子の文学」に紹介されていて、借りて読む気になったのである。娘は2年生、息子は年中さんの頃である。その1年ほど前から、絵本だけではなく、長いお話を1章ずつ読む面白さに私たち親子ははまっていた。
「たのしい川べ」、「くまのプーさん」と似た装丁、それもそのはず、挿絵はプーさんと同じアーネスト・シェパード氏である。
娘、息子の間に私も寝転んで(川の字になって)読み始める。表紙を開く時のわくわくは格別である。絵本と違い、これから何日か、数週間、あるいは1ヶ月以上この本と付き合うことになる。どんなお話が展開されるのか、どきどきしないはずがない。
開くと地図が載っている。イギリスのお話はたいていここに地図が載っていることが多い。が、初めからそれをじっくり眺めたりはしない。
まず、モグラが春の大掃除を始める場面から始まるのであるが、イギリスで、春に大掃除をする習慣があるのかどうか、私はしらない。とにかく、春が、春の陽気がモグラを外の世界へと誘うのである。そして大掃除などやめっちまって、日の光のなかに飛び出していく。物語は始まる。私は雪国の生まれなので春の始まりにはそうとうの思い入れがある。春だ!と気付いた日の嬉しさといったら!だから、このモグラの気持ちが、私にはとてもよくわかる。
そして、川に出会う。
「つやつやとひかりながら、まがりくねり、もりもりとふとった川という生きもの。おいかけたり、くすくす笑ったり、ゴブリ、音をたてて、なにかをつかむかとおもえば、声高く笑ってそれを手ばなし、またすぐほかのあそび相手にとびかかっていったりしました。」
これは川の描写なのですが、これが昔話でもおとぎ話でもないことを、やがて私たちは知ることになる。
ネズミ君との出会い、これもまた実に素敵に描写される。
「むこう岸の黒い穴。その穴のおくで、なにか、きらきらする小さなものが、きらりと光って消え、やがてまた、小さな星のようにきらりと光ったようにみえました。」「もっとながめていますと、やがてその光は、こちらを見て、ちらとまたたいてみせましたので、目だということがわかりました。」「まるで絵のまわりにがくぶちがつくように、小さな顔が見えてきました。ひげのはえた、小さな茶色の顔、まじめそうなまるい顔」
こんなふうに始まる物語にわたしたち親子はすっかり魅了されてしまう。

その約半年後か?見知らぬ、初めての海外生活、ロンドン郊外に、私たちはテムズ沿いの川辺の町に住まうことになる。初めてのランチは川辺のピクニックだった。WAITROSEで調達したサンドウィッチ、6月の川辺で、柳がゆれていた。イギリスの柳は幹が太く、堂々としている。Wind in the willows、「ねえ、向こう岸に、ネズミ君がいそうじゃない?」私が言うと、「わーい!たのしい川べだ!」「たのしい川べだ!」
楽しい川辺の生活の始まりである。