『武蔵野夫人』大岡昇平

読了後、なかなか印象が去らないので記しておくことに

ドルジェル伯爵夫人のような心の動きは時代おくれであろうか
                           ラディゲ

題辞にも記された「時代おくれ」というものは、いつの時代からも「時代おくれ」と称されて疎ましいものとでもされてきたのでしょうか。「古風」という言葉にも同じ意味が付され、昔ならばその古風があたりまえかといえば全くそうではなかったらしい。いわば「ありえない」「信じられない」ものを「時代おくれ」「古風」と片付けてきた歴史はながい。しかし、それはいつの世にも細々と生き永らえる種族ではないでしょうか。それは、見えるものにしか見えない。

大岡昇平にはそれが見えたらしい。この良く描かれた心理描写は、流れを止めぬ水の動きを書き留めるようです。
川の流れは運命として、雨は時の悪戯として、伏流水のように心理描写の外を流れている。
水の流れを変えることは可能でしょうか。そこを制御するのが作家の仕事のようです。そこを誤れば違う物語になるだけの話。
水はいづれ低きに流れる。
悲しい結末は必然で、ほんとうの愛の瞬間は
ある一瞬に閉じ込められた(封じこめられた)ことが知られる。