フィリップ・ソレルス

清水徹氏の見事な翻訳による「奇妙な孤独」に魅せられ、「例外の理論」に衝撃を受け。
「例外の理論」は旅から帰り、慌てて読み終えて図書館に帰してしまったのですが、これほど勇気のある書物が既に書かれていたのに驚き。というよりも、最近の動向に無関心だった自分のせいです。
それで「秘密」と「ステュディオ」を借りる。知らずに借りたのですが後者は前者の続編ということになるらしい。「ステュディオ」から読んでいる。というのは、この人に関しては最新の研究成果から遡りたいと直感したせいですが、これすら1997年に書かれたものが2009年に翻訳出版されたもので、2000年以降に書かれた4作は未だ翻訳されておらず。
主人公は諜報員、という設定なのは、この世界を裏側から覗く、あるいは鳥瞰的に見下ろすため。ランボーを通して、詩、及び詩人についての考察小説なのですが、どうなるのでしょう?ランボーに関しては私はこれまで無反応で、詩で何かを叫んだ人でしょ、というくらいなものだった。「ステュディオ」内でも、女性の反応はほぼ同様(無反応)。
そこでソレルスは、詩と「聖なるもの」と詩人という例外者について解き明かしたい模様。犠牲を捧げようとする人種についての

冒険はひとりでに続く。詩は、物語がひたすら自分を語りたがる小説なのだ。それはひとつの実験、瞑想、行為である。
「初めはひとつの研究(エチュード)だった。ぼくは沈黙を書き、夜を書きしるし、表現しえないものを書きとめた。ぼくはめまいを定着した。」
「ここにはだれもいないし、だれかがいる。ぼくは自分の宝をこぼしたくないのだ。」


まだ翻訳されていない4作がどのようなものか気になる。なぜなら、この人にはそれでもなお「美」を産んでほしいから。そうしたいと願うようだから