メルロ=ポンティ

「眼と精神」を読みたい。

世界がわれわれにたいして光のもとに現れる時、われわれは生の深い喜びを感ずる。そして絵画はこの根源的な喜びを祝うための儀式であるがゆえに、陽ざしのしたで画家がカンヴァスの上に鮮やかな絵具を置いていく時には、祝祭の時のような華やいだ雰囲気が漂うのである。そして眼差しのうちに世界が現れ、物が見えるようになる...

もし私が神のように超越的な視点や偏在的な視点から世界を眺めるのではなくて、私の身体がいまある位置から「受肉した」視点をもって世界を眺めているのだとすれば、世界は一挙に完全に認識されるということは決してなく、むしろつねに不完全なかたちで徐々に認識されていく他はない。

心と身体の関係は図と地の関係であり、心とは身体という地のうえに意味として浮き出してくる図だということになる。
そもそも意味というものは、「受肉」しているものなのである。

                      『人と思想 メルロ=ポンティ村上隆夫 より