小鳥と呼ばれた男 パオロ・ウッチェロ

時々わけもなく思い出す絵画は、ロンドンのナショナル・ギャラリーにあるパオロ・ウッチェロの《聖ゲオルギウスと竜》。そして《サン・ロマーノの戦い》。
遠近法に魅せられた画家として通っていますが、ほんとうにそうかしらと疑うような微笑ましい絵画を残している。片や物語の挿絵のような小品、片や堂々とした大作なのですが、どちらにも共通した牧歌的な、物語のような雰囲気がある。絵画を前にしばし佇む、その遊び心、わたしはウッチェロも好きでした。

聖ゲオルギウスと竜
物語の挿絵のような小品、白馬に乗り、甲冑に身を固めた聖ゲオルギウスは槍で竜を一突きしている。翼を広げた竜、その首は傍らで成り行きを見つめる姫君の腕と鎖で結ばれている。捕らえられているはずの姫君は女主人のようでもあり、怖い竜は姫君のペットのよう、といったら言い過ぎでしょうか。
聖ゲオルギウスは竜に喩えられる異教を倒しながら、次々とキリスト教を布教する聖人なのですが、この絵画を見ていると他の展開もありえたのではないかという気がしてくる。聖ゲオルギウスは竜を退治する必要はなかったのかもしれない。もうすこしで、怖そうな竜は姫君によって和らぎ、立派な王となったかもしれない。「美女と野獣」のような。

サン・ロマーノの戦い
手に手に槍を携え、甲冑に身を包んだ兵士たち。中央で白馬に跨り、派手な被り物でフィレンツェ軍を指揮するニッコロ・ダ・トレンティーノ。こちらもまた物語あるいは舞台の戦いの一場面に見える。というのも、地面に並べられた槍の置き方の慎重なこと。遠近法の成果を見せるのに適切かどうか疑わしく、楽しい。左寄りに倒れた兵士はまさしく遠近法の成果のための犠牲にふさわしく、倒れ方は念が入っているように見える。短縮画法で描かれたこの倒れる小さな兵士はとても目立つ。

ヴァザーリルネサンス画人伝』を取り出す。

パーオロ・ウッチェロは、遠近画法のことでいろいろと苦心して時間を費やした人だが、それと同じくらいの精力を人物の姿形や動物の画に費やしたならば、ジョット以来今日に至るまでイタリアで生まれたもっとも軽妙かつ奇想に富める天才と認められたことであったろう。

と残念そう。難問解決のために時間を空費したという、そうした人々は、孤独で、奇妙で、憂鬱で、貧乏な人になってしまうと。

ところがパーオロは、およそいっさいの時間を無為に過ごすことなく、常に芸術の最大の難問を追い求めて、建物の平面図や、建築物の側面図から、遠近画法を引き出す方法を完成の域にまで高めた。
そうした問題に熱中するあまり、ウッチェルロはほとんど交際もせぬ、野蛮人のような、ひとりぼっちの人となり、何週間も何箇月も家に閉じこもって、人前に姿を見せなかった。

妻がよく口にしたのは、夫のパーオロがしばしば仕事場で夜を徹して遠近法の問題に打ちこみ、妻がもう寝るようにと声をかけると、彼は、
「ああ、この遠近法というのは可愛いやつでなあ」
と答えるのが癖だった。

ヴァザーリもウッチェロが遠近法を可愛がったことは認めている。しかし、とまだヴァザーリは残念でならないようなのですが、これで良かったのだと思う。
ウッチェロの描いたものはどれも可愛い。遠近法を可愛がったことは確かに描かれている。ウッチェロは、遠近法と遊んでいたのだ。