神神の相貌 「白洲正子展」

眩しすぎる春、桜散る前にと、砧公園内にある世田谷美術館で開催されている白洲正子展、盛況。年齢層は高め、男女比は半々といったところでしょうか。
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html
白洲氏の著作は主に海外滞在時に読み、遠くから祖国を見つめ直すと同時に、昔への時間と昔の人への距離を一気に縮めてくれた著作が私に与えた影響、それを再び思い起こされる、素晴らしい展示でした。白洲氏の眼差しは時間も距離もひと飛びし、交感をはじめる。時間を超えたものの魂に触れること。
曼荼羅図。幾何学的に配置された理知的なものではなく世界の縮図のような、人間が一生で歩まなければならぬ道行き図とでもいった趣き、天国も地獄もこの世にあるのです、と淡々と歩いて行くような。那智参詣曼荼羅などはこの世で行ける神の国の展示会場のように見える、といったら不謹慎でしょうか。
展示室から展示室への結びの壁の一面の湖、近江(淡海)の水に彼岸に運ばれるようで、ゆらりとする。
「かみさま」の展示室のかみさまたちのお貌の優しいこと、<女神像>の童女のあどけないおかっぱ頭。老いも若きも、生きた人間の顔をしている。ひとつの表情に込められた幾つもの感情...顔は丸い頭の面であり、それぞれの人間のなかから泰然と現れた優しさもまた一様ではない。
「十一面観音」これは、日本人のテーマといっても良いのでは。
突如、顕れた息を呑むトルソー。奈良時代8世紀の松尾寺に伝える<焼損仏像(千手観音トルソー)>の焼かれてなお生まれた魂のかたち、頭も腕も失った肢体の、くびれからふくらみに至るライン、立つ姿の神々しさに圧倒される。


たいへん人が多く、そういう場合じっくりというよりさあーっと廻ってしまう。もういちど見たいものを目に留めて外へ、美術展も桜も読書も、と欲張って出掛けた欲は何処へ...楽園にも似た芝生の上、桜の下に憩う老若男女を遠目に空の境地。