意識ある原子

たとえば、ひとりで浜辺に立つと、僕の心にはさまざまなことが浮かんできます。

天才科学者の、

波が打ち寄せてくる
膨大な数の分子が
互いに何億万と離れて
勝手に存在しているというのに
それが一斉に白く泡立つ波をつくる
それを眺める眼すら
存在しなかったはるかな昔から
何億年もの年を重ね
いまも変わりなく
波濤は岸を打ちつづける
ひとかけらの生命もない
惑星の上で
だれのため、何のために
波は寄せていたのか?
ひとときも憩わず
エネルギーにさいなまれ
太陽に滅ぼし尽くされ
宇宙に放たれる
その小さなひとかけらが
海を轟かす
海底深く
分子はすべて
互いのパターンをくり返す
新しく複雑なものが生まれるまで
こうして生まれたものはまた
自らとそっくり同じものを
作っていく
そしてまた新しいダンスがはじまるのだ
その大きさ複雑さを増しながら
生命あるものすなわち
原子のかたまり
DNA、タンパク質は
たぐいなく
複雑なパターンを
踊りつづける
そのゆりかごを離れ
こうしていま
乾いた地上にたたずむ僕は
意識ある原子
好奇の目をもった物質だ
思惟することの驚異に打たれ
僕は海辺に立ちつくす
その僕は
原子の宇宙
宇宙のなかの原子

科学に関係のない人々のなかには、このような科学的神秘に関する、いうなれば宗教的体験のできる人が少ないのは事実です。詩人はなぜかこのすばらしい経験を謳おうとはせず、画家もそれを描こうとはしませんが、いったいこの宇宙の姿に心を打たれる人はいないのでしょうか?

ファインマンさんベストエッセイ

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詩人が誰も科学的神秘を詩にうたわないから。