パスカル・キニャール 『アルブキウス』

書く人の情熱は、おあつらえ向きの、あるいは残酷なフレーズが唇にのぼってきたとき、それがいかに不都合な事態を招こうと、どんなに有害なものになる可能性があったとしても、あるいは、それをテクストに挿入すると、ひどく唐突に見えたにしても、それを省くことができない。

アルブキウス

アルブキウス

『辺境の館』と一緒に図書館から借りてきたもう一冊。アルブキウスとは知られざるローマの弁論家。
この本を読み進めるとキニャール氏が書物で何をしたいのかが次第にわかりはじめる。

すなわち、人は自分の言っていることがわからない、人は自分のしていることがわからない。わたしはこの二つの取りつく島もない格言が大好きで、座右の銘にしている。

カエサルが「記した」『ガリア戦記』が記したものは歴史だったのだろうか...歴史と文字が相前後する時間、チャリオットの両輪を何が動かしたのだろう。
パスカルキニャールのやり方はあたかも考古学者が古代遺跡の土くれの中なら取り出した過去の断片を繋ぎ合わせるようだ、足りないピースを補うように。

アルブキウスは年少のころから自分の物語に切断された手を持ちこむ癖があったという。

<切断された手>を物語に持ち込む、そんな記述を現代に持ち込む為にキニャール氏は記述する。切断された手が何を象徴するのかはアルブキウスが物語ろうとしたものそのものだろう。

ということは、コップが割れず、海綿が割れる見知らぬ国へと誘う木の袋に乗せようとする者など誰もいないということではないか?

「第五の季節がある」と彼は言ったという。

かけらしかないところに難破はない。 難破のあるところ、そこにあなたから授かった私の小さな王国があるのだ。ガレー船や帆船にもまして海(メール)を支配するもの、それはかけらなのだ。

《婉曲論法(ドウクトウス・オブリクウス)》言った当人が言ったことを否定する古い表現法。古代ローマ人はこれをひどく嫌い、ギリシアの雄弁家とソフィストにはたいそう好まれたという。

「インファリ」infariというラテン語は、話をしないという意味だった。
生誕から七歳までの「子供」puerは「インファンス」infans、言語を持たぬ者と呼ばれた。
ルクレティウスは、その形容詞の名詞形「インファンティア」infantiaを発語不能という意味で用いた。
「インファンドゥス」infandusとは、それを口に出してはならないという意味があった。
キケロは赤ん坊を「インファンティシメス」infantissimesと呼んだ。
発語不能に近づけば近づくほど、幼年期は回帰する。乳母や母が「言葉を知らぬ子供」puer infansに「お話」fabulaeを聞かせてやるのは、子供が語れるようにしてやるためであり、そして、語る人fansとなり、物語る人fabulorとなり、伝説の人fabulosusとなるようにしてやるためだった。それが人の「ファトゥム」fatum(運命、託宣)なのだ。ローマでは、人々は寓話(ファーブル)に結びつけられていた。

失われた言葉の欠片の収集、
喪失された、あるいは失調する言語を恢復しようとする試み。
パスカルキニャールは「書いている」自身を隠そうとしない。こういうやり方はわたしは好きなほうだ。引用した部分もキニャール氏の言葉とアルブキウスの言葉があるが特に断る必要もないように思う。