京都旅 宇治へ

出町柳から京阪に乗り、そろそろお昼時、鴨川を見ながらうな丼をいただく。夏になると鴨川沿いに恋人たちが等間隔に並ぶという。また京阪に乗り、宇治へ。旅も終わりに近い。宇治線に乗り換えると車内もお茶の色!
宇治に降り立つ。堂々とした宇治橋、たっぷりとした川の流れ(この流れに身を投げたらとても助かるまい)、高すぎない山々が連なる。
綺麗なところ、源氏物語の、はかない物語の舞台。
平等院表参道はお茶の香あふれ、観光客気分が楽しい。3時半の平等院内拝観を予約し、鳳凰堂各自激写。パシャリ、パシャリ。
鳳翔館へ、雲中供養菩薩像、雲に乗って、それぞれの楽器を奏でる菩薩達、ひょいと足を上げ、舞うポーズも愛らしい。
そして、かの鳳凰が目の高さで見られる!これは見物、11世紀の本物、二本の真直ぐな足で立つポーズ、胸のラインの完璧なこと、羽の先のひらひら具合といい、羽などの部分が鋲留めになっているのがロボットめいて、最高にかっこいい!!(カッコ可愛い)!
お楽しみのお土産コーナー、こちらは結構おしゃれな文具などあり。娘はしおり、息子は「手作り」の漆塗りのキーホルダーを各自お小遣いでゲット。
すると、夫がアイフォンのイヤフォンがない、ない、と騒いでいる。と、子供たちがポケットに入れた、入れないでもめている。ああ、あの時じゃない?と夫子供は現場に向かう。母と私は藤棚の下で一休み。
見事な藤棚、これが咲いたら、きれいでしょうねえ!幹が、太く、逞しく、捩れている。中臣鎌足天智天皇から賜った藤原の姓、その精神を表すような藤蔓。麗しい花の下で太く逞しく頑固に捩れた幹を見る。
戻ってきた、手に白い紐を掲げている。あったんだ、良かったね、めでたしめでたし。
鳳凰堂内拝観の列が出来てきた。私たちも並びましょうか?
堂内に入る前に長傘は傘立てにお入れ下さい、などの注意事項が言い渡される。前方にお寺風の質素な傘立てが見える、息子が後生大事に持ってきたゲット傘。
「ふふ、この天気じゃ傘もってんのは俺ぐらいのものだろう」
列に視線を走らせると長傘を持つ男性数人。
(なんだ、俺だけじゃねえのかよ)と心の声がきこえるよう、別に、こんなことで特別な男にならなくても!それより、最近のその言葉遣い、どうにかならない?ぬいぐるみを捨てられない息子、魂がある、と信じているから。
朝出る時、ゲット傘は持って出たけれど、どこか適当なところに置いていくつもりだった。今日はもう必要がないし、また役立てる機会はある、と息子に言ったのだが、「嫌だ、この傘は僕が救う!」と言って大事に持っている。傘にも魂がある、とでも言いたいのか?
ぞろぞろと進み、堂内に入る。今に至るまでには、随分と荒れ果てていたこともあるという、こうして見られるのは有難いこと。鳳凰堂の廊下を歩く、これも有難い。
結界を越えないように、との注意があったはずだが、聞き逃したのか竹の結界をひょいと越えてしまう女性がいる。「あー、あのヒト結界を越えたー!」と息子がハラハラしている。自分も「結界ギリギリに立つ」などとやって楽しんでいる。
靴をはくと傘立てが待っている。「わあ、傘が僕を待っててくれた!」と喜んでいる。息子は僕と俺の境界を往ったり来たりしている。
「じゃあ、お茶にしましょう」と夫。赤い門を出てすぐのお店に入る。いろんなお茶が並んでいる、お茶団子とのセット、私と子供はお抹茶、夫は玉露、母はさわらびを選ぶ。夫と母は店主の指南でお茶をいれる、私たちはいただく。
「苦くないね」
「おいしいね」
夫は「酸味と甘味がします」と言っている。
店主は22年前までは東京にいらしたのだとか。好きで何度も京都に通ううち、とうとう住むことになり、今に至るのだとおっしゃる。お店も自身で設計し、二階で建築の仕事をし、一階でお茶をふるまう。
好きな場所で、好きな仕事、好きな暮らし。
「いいですね!」お茶を買って宇治上神社へ向かう。