ヴェローナ ピサネロ(1395−1455?)

イタリアの街は何処も素晴らしいが、最も好きなのは・・ヴェローナかもしれない
ロミオとジュリエット」の場所であり、夏にはローマ時代のアレーナでの野外オペラが名物だが、わたしたちが訪れたのはその時期ではない。オフシーズンといって良い時期だった。ヴェネトを訪れるにあたり、一大観光地ヴェネツィアではない場所に宿をとったのだ。
鉄道でパドヴァへ行きスクロヴェーニ礼拝堂に描かれたジョットの壁画を見た。
別の日にはまた鉄道でヴェネツィアへ行きサン・マルコ広場を、ドゥカーレ宮を、運河を水上バスで巡り、迷路のような水の都を楽しんだが、その街で寝泊りしなければその街を知ったことにはならない。私はヴェネツィアを知らない。(帰りの汽車はコンパートメントをとらず、失敗)
蛇行するアディジェ川に包まれるように位置する、こぢんまりとした奥床しい街、たっぷりの水をたたえた川沿いにカステル・ヴェッキオ、スカリジェリ橋が川に架かる。その近くに宿をとったのだが、朝がくれば近くのカフェに案内され、そこで甘いおやつのような朝食をとるのだった。杉本秀太郎氏は逆に、ヴェネツィアに宿をとり、鉄道でヴェローナへ赴いたのだ。ピサネロを観るためだけに。
いくつかの、甘やかな場所からなるヴェローナ。暴君と呼ばれたスカリジェリ家の鉄の墓廟。
ジュリエットの館のバルコニー。世界中から訪れた若き恋人たち、あるいは片恋の、それぞれが愛を、小さな紙片に書きとめて館の壁に甘いガムで(!)留めつけるのがおきまりのようだったが、その「愛をこそ」ねがう思いを祝福するかのように蜜蜂が飛び回っていた。
バスでピエトラ橋を渡り、街の外へ、ジュスティ庭園を目指して歩く。のどかな、静かな日常、観光客の姿はない。門を入ると糸杉が配された庭園には誰もいない。嬉しくなる・・こんな庭園が好きなのだ。幾何学的にデザインされた庭、天に屹立する糸杉、迷路を巡るように子供たちは駆け出した。平面は斜面に変わる。登るうちに動くものが・・赤リスだった。まるでピサネロの絵画から飛び出したような、赤く光り、消えていった。それを見たのはあとにも先にもそれきりだった。
聖アナスタシア教会、そこにはピサネロのフレスコ画「聖ゲオルギウスと王女」がある。おめあての・・
(1433-38)
おとぎ話とも見えるこの情景に杉本氏は不穏なものを読みとる。本当の歴史・・グルジアの王子とトレビゾンドの王女との永別の瞬間を。

王子は、悲劇からすり抜けようとしている。この世界を放り出し、あえて傍観者となること。いまから馬上のひととなり、駆け出すこと。王子の心には、王女も無情に見捨てる決心がある。

杉本氏は横に長いフレスコ画の左辺に退治された龍をみつけるや、
「画面に龍は影も形もないどころではない。グルジアトレビゾンドの挿話は、夢まぼろしにすぎなかったのだろうか。」
と独り言つのであった。しかし私と絵画の関係もおよそ似たようなものである。
最後に、最初で最後(おそらく)の裸婦をあげておこう。

1430「Luxury」
生没年も不詳のピサネロの、不思議な裸婦である。およそ人間の裸身というよりは、傍らの兎が変化(へんげ)したかのような・・
ピサネロは何をみたのだろう。