『ピサネロ装飾論』 杉本秀太郎

杉本秀太郎氏は京都生まれのフランス文学者。京都最大規模の町屋建築である杉本家の当主である。
京都に生まれ、戦争を経験し、フランスに留学した氏が書き留めた『洛中生息』の色合いをどう表現したら良いだろう。うしなわれた時、変わりゆく街、京都を書き留める氏の視線はいたみを伴う。

ピサネロ装飾論 (白水社アートコレクション)

ピサネロ装飾論 (白水社アートコレクション)

私にとって特別な京都本を書きとめた氏が、ピサネロについて1冊の本をものしているのを知った時は驚いた。数年前に早速入手したのが、百ページあまりの小さな本。数ページ読んだだけで本棚に納まっていた。
あまりにも好きなものについて語ることは困難を極める。杉本氏はその困難そのものを書きとめようとするので、我々もついてゆくのに少しく苦労するが、私にはその気持ちがよく解る。
杉本氏の心を捕らえた絵画はパリはルーヴルの『エステ家の姫君』

このたった一枚の絵画を見るために、「むだな疲労」「激しい混乱」を蒙ることを知りながら、ルーヴルの長い回廊をゆくのである。
私の場合はロンドンはナショナル・ギャラリーの『聖エウスタキウスの見たもの』と『聖ゲオルギウスと聖アントニウスのいる聖母子』がそうだった。

他の絵画が目当てだったとしても、それらの前を素通りすることはできず、足をとめしばし見入る。いつしかピサネロという名は特別なものとなっていた。ダ・ヴィンチ、ピエロ・デッラ・フランチェスカファン・エイクと並ぶ最上位に入ってしまっていた。
その意味は杉本氏の次の言葉が説明してくれる。

ピサネロという画家は、キリスト教文化のきわめて薄い表層を突き破り、それよりも深いところに脈々として絶えないフォークロアにまで、多感な手を届かせた人ではなかったか。

私の好きな絵画は一様に静かな面影をたたえるが、それらは全てその表層を突き破り、深いところへ届く、その深さを知ってしまったものの哀しみを伝えるように感じられる。
ピサネロの習作「授乳するマドンナ」(画像は後日)
この聖母の眼差しはどうだろう。とおくへ想いをはせるその眼差しは、古き昔から未来へと連綿と続く、「母となること」への郷愁に似てはいないだろうか。