Reunion

勅使河原三郎のダンスとの再会、タイトルは「リユニオン」。これはピアニスト、フランチェスコ・トリスターノと勅使河原三郎、伊東利穂子の南フランス(森の中の野外劇場で行われたという)でのコラボの再会の意味だそうだ。
http://eurassic.jp/reunion/#003
さて、言語を用いない表現を言葉で表現するすべをわたしは持たないのだからバッグに忍ばせたフィリップ・ソレルス『ドラマ』の「彼」に代弁していただいたほうがよさそう。

彼は書く
イメージが徐々に、自律的に作動しはじめ、その裏側により根本的な動きを作りだす。それは目に見えない動きであり、いわば全世界を包みこみながら閉じられてはいない、唯一の潜在的方程式である。
暗く輝く大気のなかで焼尽が続く。

彼は書く
肉体は自らを夢みる思考のなかで、自己に反抗して考え、自己を失う...そのくせその肉体はそこにあり、しかじかの姿勢のなかにうずくまっているのだが、その痕跡は突然反対側に移る...

その激しい輝きはほとんど直視できないほどだ。
《まるで水晶のようなの。》
その時、回転が知覚されるものになり、音楽が高まる一方、それはますます回転速度を増す、唯一の和音から果てしなく増大する音楽、
《そのようにして人はそれと知らずに生きる。》
彼は書く

どこを引いてもよさそうなのは、<彼は書く、>ダンスは身体が記述する記号だから。
トリスターノ奏でるゴルトベルク変奏曲の音満つ舞台と踊る身体は一体となり視界は楕円に包まれ...光を感じていた。

二十年以上(!)ぶりの勅使河原三郎のダンスとの再会は、<変わらないもの=変容するもの>との再会でもあり、これからも観客でありたいと、そう思った。

MIROKU

Obsession

(どちらも生で観たい...)