『素粒子の宴』

南部陽一郎氏とポリツァー氏の対談(1979年)。若さと臨場感溢れる、素粒子物理学のお喋りが愉しい。
学者同士の相互作用は素粒子のふるまいに似て...

素粒子の宴 新装版

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ポリツァー「対称性はあるのですが、それが自発的に破れるんですからね。自然法則として抽象的にですが、対称性がありながら、現実の世界ではそれがやや非対称にあらわれている。」
南部「内容としては同じ考え方ですよ。まず対称性を求め、次に反対称性を求め、そっちの方に憧れて進んでいる。」

ポリツァー「たとえば色のような場合、抽象化のしかたはいろいろ違ってきます。エスキモーなんかは白にあたることばを実にいろいろ持っている。というのは、エスキモーにとっては雪の白さにはいろいろな段階があって、それぞれ違う名前で呼んでいるからです。」

ポリツァー「計算のためのアルゴリズムはふたりとも了解しているけれども、初めのところでどう始めるべきか、いかにして一貫性のある像にまでもっていくか、それがわからない。ふたりとも計算で同じ断面積を出すんです。ところが、われわれがいったい何をしようとしているのか、納得のいくように説明できない。ファインマンはいま、スタートを切るしっかりした土台を探しているところです。私も、始まりがどこなのか見当がつかない。彼にはその土台を探す余裕があるけれども、私は断面積を計算している方が性に合っている。」
南部「彼には中世の騎士のようなところがある……。」

南部「ニュートリノが何もしないって、どうして言えるんですか?」
ポリツァー「ニュートリノは何に対しても何もしないじゃありませんか(笑)」
南部「さあ…もしかしたらわれわれの〈心〉に影響を与えているかもしれませんよ!」

ポリツァー「物理学者が誤りをおかすことは、いつでも避けられないことです。つまり、次の世代によって、いまわれわれがやっていることが単に近似でしかなかったことが明らかにされるわけです。つまり、まだ全面的に否定される可能性がある。たとえ全面的に正しくはないにしても、そこに何らかの真実が含まれていることが明らかになって欲しいんです、私は。」