絵になる映画 「暗殺の森」

絵になる風景というものがある、必ずしも絶景である必要はない。風景のなかになにひとつ余分なものが入り込む余地のない風景。
暗殺の森」は絵画に似ている。構図、視点の移動、白の濃淡による風景、黒の濃淡による、あるいは海に反射する光のある、風景。
原作はモラヴィアの「孤独な青年」。モラヴィアの小説は絵になる風景のように、映画になる。
モラヴィアは小説のなかに愛を描こうとするが、愛は描けるものだろうか。描くとすれば余分なものを入り込ませてはいけない。モラヴィアは巧みに思想を小説から排除する。思想は愛と相性がわるい。思想はあっても、愛はその隙間に覗くようにしか存在しえない。存在するかどうかさえ定かではない。それは覗くようにしか見ることがない。
というのは「孤独な青年」を読まずにこんなことを言っている。つまり「軽蔑」と比較しているのだが、ゴダールの「軽蔑」も絵のある映画となっているから。